私は手術の同意書を書いてほしい

結婚とは手術の同意書を書いてもらうためにするものである。

 

これが私なりの結婚をしたい理由だ。

昨年初めて結婚式に参加し心底吐き気を催した私が、なんとかしてたどり着いた結論である。

気づけば私も20代後半。恋愛アレルギーもあって身近な人間が結婚するという場面に出くわすことがなかった私だが、ついに現実は襲い掛かってきた。

結婚適齢期である。

子どもの時分から学生時代に至るまで、結婚はしたくない、あるいは結婚したいと思えるほどの出会いがなければしなくていい、という考えで生きてきた。

苗字を変えるのは戸籍上女性が圧倒的に多数だし、戸籍上女性だと家の女と書いて「よめ」と呼ばれたり、あるいは戸籍上男性のことを「主人」なんて呼んだりする。

そんな圧倒的に男女非対称な関係を、わざわざ婚活してまで結びたいとは思っていなかったのだ。

それは「女の子は結婚に憧れる」だとか「わたしねー、パパとけっこんする!」という幼女の”典型的な”戯れだとか「女子って恋愛が好きだよなー」といった、世間様に対抗するアンチテーゼ的な意味もあった。

しかしそれは反発であり、結婚のメリット・デメリットを検討したうえでの最終結論ではない。

結婚しない女、っていうのもなんかかっこよかったし。

だが、そんな私にもさすがに結婚に対するスタンスを確定させるべき時期が来たのだ。

 

ところで、私が20代後半になれば、親は当然高齢化する。

数年前に母が救急車で運ばれたときは心底肝が冷えた。

父母は夫婦仲が良くなく、加えて父はちっとも頼りにならない人間である。

救急隊員との連絡であるとか、母の入院手続きであるとか、そういうのは配偶者たる父がすればいいと思っていたのだが、私の想定以上に彼は何もできない人だった。

それでも入院の同意書には父の名前を書くことができるし、きっと緊急手術となれば私の名前ではなく、父の名前が記されるだろう。

幸い母は一週間程度で退院でき、その後もなにごともなく済んだ。

それでもこれからこういったことがまた起こるかもしれない。

そして私自身も健康な10代20代から別れを告げ、いつ病気やケガをするともしれない。

そのときに、私の手術の同意書を書いてくれる存在はいるのか。

父母亡きあとに、意識のない私の代わりに「可能性があるのならできることはなんでもしてください」とサインしてくれる人はいるのか。

考えてしまったのである。

 

私には弟がいるが、これが父に似てなんとも頼りない。加えて人の心の機微に鈍感である(これは我が家に共通する欠点である)。

そして今現在別居しており、将来もその可能性が高い。

彼をあてにするのはよくないだろう。

となると遠い親族を探すより、自分で信頼できる他人に頼むのが良いように思われた。

そして他人に同意書を書いてもらってそれを受理してもらえるのは、婚姻関係なのだと思い至ったのだ。

そこで世間様が結婚、結婚うるさいことに、妙に納得してしまった。

結婚は、安全保障なのである。

仲の良くない父母でも、頼りない父でも、母を助けるために手術の同意書を書くことができる。

自分の命を守るために、他者と約定を交わしておく。

その最たるもので、最も簡単な契約関係が、婚姻なのである。

となると、アンチ結婚だった私だが、とたんに結婚したくなってしまった。

私の命を守るために、信頼できる他者と婚姻関係を結んでおきたいと思った。

 

そこでますます同性婚が認められないことの問題点にもぶつかってしまった。

私はパンセクシャルである(実際には女性としか付き合ったことがないので、バイかもしれないしビアンかもしれないのだが、気持ちとしてはパンである)から、その「信頼できる他者」が戸籍上男性であるとは限らない。

いやそもそも「信頼できる他者」という定義だけでは性別は問わないだろう。

しかし法律婚するには、戸籍上異性である必要がある。

私の場合は戸籍上男性でなければ婚姻関係を結べない。

安全保障であるはずの婚姻制度は、セクシャルマイノリティを排除しているのだ。

これではせっかくアンチ結婚から結婚したがりに鞍替えした意味がない。

セクシャルマイノリティが切実に結婚制度を求めることが、心の底から理解できた。

子どもがどう、少子化がどう、ではない。今と未来の、私自身の、安全にかかわるのである。

もちろん好きな人と結婚する自由の保障であるし、家庭を持つことで親からの自立という意味もある。

子どもを設けるためだけの結婚制度か。

結婚とは、なにもそのためだけにするものではないはずだ。

 

私は、安全保障のために結婚がしたい。

そしてその選択肢は広いほうがいい。

結婚適齢期にそんなことを思うのである。