大手の面接での反省を生かして、準大手の面接に臨んできました。

ありのままの私で受かると思っていた大手が落ちてしまったので、思い切って「きれいな私」部分がなるべく出るようにESから想定回答やら軌道修正したのですが、それが当たったようです。

内定いただけました。

面接中に大手を落ちた理由は何だと思うかと聞かれ、ありのまますぎた・もっと明るい部分を押し出すべきだった、と答えました。

そしたら、内定告知後に面接官に「たしかにありのまますぎるね。仕事だから相手の反応を予測して発言するように」と言われました。

普段の生活や仕事相手ならそこまであけすけに言わないんだけどなぁ、と思いつつ、なら面接でもあけすけに言う必要ないじゃないか、と気づきました。

やはり「きれいな私」が必要なのです。

 

あけすけに言うことが魅力、あるいは誠実さと履き違えていたようですね。

思い返せばそれでアルバイトの失敗もあるわけで…。

もっと早くに気づければよかったです。

こういう気づきがあるから、就活しっかりやれ、って口酸っぱく言われるのでしょうか。

 

それでも。

日本の就活では、「人柄」を重視しどういう人物かわかるようにエピソードを組み立てるように言われます。

そんなに立派な人間なんていないし、人柄の良さと能力の高さはイコールではないのに。

ポテンシャル採用なんて言っていますが、実質良い会社に新卒で入れなければ転職で前職よりよい条件のところに入れる確率は低いため、良い「人柄」のアピールで新卒ブランドを生かさなければなりません。(そもそも新卒ブランドってなんだよ、って感じですが)

ポテンシャル採用がある一方で、能力で採用されることはありません。

就活市場における「能力」とは実務経験であり、社会人経験がない状態では「人柄」アピールするほかありません。

ポテンシャル採用に利用されることが多い「大学時代の経験」に自信がなければ、「人柄」アピールもままなりません。

私は大学時代が暗黒期だったので、アピールポイントがなく、したがって「人柄」アピールはできませんでした。

だから能力で評価されたくて、とある資格をとったのですが、その就活ではみな同じ資格を持っているため、結局「人柄」アピールせざるをえなかったのです。

日本では、「能力で評価」はないのでは、と思います。

面接の上手下手がキャリアに直接かかわってくるのです。

(理系の研究室推薦は口下手な学生をフォローしているといえる)

それでいいのかな、なんて、思うのは、負け犬の遠吠えでしょうか。

 

能力を見るために、ディベートをしたり、ワークショップをしたりしても、結局最終的には面接に依ります。

私は面接が絶望的にへたくそですから、就活にずいぶんてこずりました。

ディベートやワークショップで手ごたえがあっても、面接で「この子ダメだわ」と思われてしまうのです。

人と話すことは苦手ではないのですが、自分を良く見せる、ということに心理的抵抗があり、また”本当の自分”を発掘するのも大の苦手なのです。

だからずっと私の能力に注目してほしかった。

新卒で働けなければ、職歴もなしです。職歴がなければ日本では能力がない(少なくとも測ることができない)とされます。

だから、面接でつまずいた私はずっとつらかった。

面接が絶望的な人でもどうにか認められる仕組みがあったらいいのにな、と思いました。

 

でも今、なんとか内定を得ることができました。

もう暗黒の大学時代を語りたくはありません。

これからは経験を積んで、今度こそ「能力」で評価されてみせます。